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私の人生を大きく変えたマッスル北村という男【大きさは筋肉より心の広さにあり】

マッスル北村タイトル

マッスル北村さん(以降マッスル北村と記述させていただきます:北村克己さん)をご存知でしょうか。伝説のボディビルダーと言われ、いまだに話題になる人物です。

私の大好きなマッスル北村の「ボディビル人生」を中心に「逸話」や「人物像」をまとめてみました。

彼の超人的なところは「己への厳しさ」と「他人への優しさ」にあります。昨今、軽い口調で「神レベル」と表現することがありますが、マッスル北村は本当の神レベルの人物です。

マッスル北村のトレーニングビデオを見て、私の人生は大きく変わりました。

本記事を読んで、少しでもマッスル北村という伝説の人物を知ってくれれば堪能です。

この記事で把握できること

  • マッスル北村のボディビルへの思い
  • 常軌を逸したトレーニングと食事内容
  • 極限状態の減量逸話

本記事は「マッスル北村伝説のバルクアップトレーニング」「マッスル北村メモリアルBOOK」の事実を参考にまとめています。

また、マッスル北村の写真は、マッスル企画から利用承諾をえています。

マッスル北村の学歴、ボディビル成績

学歴は超一級品です。

現役で防衛医科大学校と早稲田大学理工学部に合格していますが、2浪して東京大学へ入学しています。

その後、東京大学を中退し、東京医科歯科大学へ入学するもまたしても中退。

退学理由はボディビルに人生をかけるためです。マッスル北村はこの先も生涯ボディビルを愛し、己を研磨し、極限と戦い、限界を突破する人生を歩むことになります。

マッスル北村の学歴

学歴コメント
東京学芸大学附属大泉小学校卒業 
東京学芸大学附属大泉中学校卒業 
東京学芸大学教育学部附属高等学校卒業 
東京学芸大学教育学部附属高等学校卒業 
東京大学理科II類中退ボディビルに熱中して中退
東京医科歯科大学医学部中退ボディビルに熱中して2度目の中退

 

マッスル北村のボディビル大会歴

ボディビル大会コメント
1981年(昭和56年)ミスター関東学生大会 敗退屈辱の初参戦。審査結果前に会場を後に。ここから闘いが始まります
1981年(昭和56年)ミスター東日本学生大会 8位 
1983年(昭和58年)ミスター関東学生大会 優勝狂気のトレーニングと食事で2年前の大会のリベンジ
1984年(昭和59年)ミスター関東 優勝 
1984年(昭和59年)ミスターオールジャパンチャンピオンシップス 2位前日夜間に走り込み。東海林選手の脚に衝撃を受ける
1985年(昭和60年)ミスターオールジャパンチャンピオンシップス 気絶10日間飲まず食わずの減量でステージで気絶
1985年(昭和60年)ミスター東京 優勝 
1985年(昭和60年)ミスター全日本実業団 優勝 
1985年(昭和60年)ミスターアジア ライトヘビークラス 優勝 
1986年(昭和61年) ミスターパシフィック 優勝 
1986年(昭和61年) ミスターオールジャパンチャンピオンシップス 優勝 
1990年(平成2年)WABBA世界選手権 世界4位入賞 
1999年(平成11年)WABBA 太平洋世界選手権 総合優勝 
1999年(平成11年)NPCトーナメント・オブ・チャンピオンズ ヘビー級3位入賞 
2000年(平成12年)世界戦に向け全身全霊で限界に挑み、完全燃焼した事実上の餓死。1960年10月6日〜2000年8月3日没 

もちろんマッスル北村でも負け試合もあります。輝かしい成績の裏側ではバネになる敗北があったのです。

自転車に大ハマリのマッスル北村

まさに太く、短くの人生でした。言葉で言うのは簡単ですが己の身をなげうって、限界までチャレンジする生身の人間がいたことに、私は心底仰天しました。

40歳の若さで会えなくなりましたが、「完全燃焼」なのか「不完全燃焼」なのか。志しなかばで人生の終止符を迎えたことは残念ですが、生前彼はよく口にしていました。

肉体は滅びても魂は生き続ける

今も天国で極限のトレーニングをしているに違いないです。彼ならきっとやっています。

 

マッスル北村の幼少期

マッスル北村幼少期

マッスル北村妹

小学生の頃はほとんど運動をせずに、大体は虫の観察をしていたようです。子供向けの科学や理科の雑誌のモデルとして登場するぐらいの熱中ぶり。

幼少期のこの頃から「夢中」で物事を追求することが好きだったようで、何事も追求しなければ納得ができかった性分のようです。

 

ある日のこと不良品のテレビを回収し、自宅で分解しだしました。

分解した結果、故障の原因となる部品を秋葉原の裏どおりの専門店(想像するにラジオ館とか?でしょうか)でお店に人に相談し、部品を調達してテレビを修理していたといいます。

先の雑誌のモデル話といい、テレビの修理といいマッスル北村の「追求」の原点はここから始まったのかも知れないですね。

その後も何台もテレビの修理を行い、家中テレビだらけだっというから驚きです。

 

中学時代のマッスル北村は自転車に大ハマリ

マッスル北村中学時代

マッスル北村中学時代2

中学に入り体操部に入部して、運動らしい運動を始めたようです。その中でも中学時代にどっぷりとハマったのが、自転車です。

私もロードバイクに乗っているので、自転車の楽しさは十分知っていますが、マッスル北村の自転車にハマる内容は、一般人からすると「楽める」ものではないです。

しかし、本人は楽しさ=究極の達成感だったと想像します。しかも達成への満足度は年齢とともにエスカレーションしていきます。

 

マッスル北村の自転車走破距離はプロレベル

毎週日曜日には体力と精神力を限界状態で鍛えるために、約250kmのスピードサイクリングを敢行していたといいます。

自転車で100km走るためには、高性能なロードバイクで、ある程度訓練したものしか走りきれない距離です。ベンチプレスで表現すると100kg達成といえば、わかりやすいでしょうか。

それを踏まえると250kmは異常な距離です。自転車アマチュアのトップクラスの選手や、ツールドフランスで活躍するプロのロードレーサーレベルの人が走れる距離が250kmです。

その距離を毎週走行していたというのは、驚き以外の何者でもないです。

一体どんな自転車に乗っていたのか?現代のように軽量なカーボン素材は考えにくく、クロモリと呼ばれる素材やアルミ性のロードバイクと想像しています。

 

東京の自宅から房総半島の館山、箱根山峠までの往復、秩父までの往復を走っていたそうです。

時には寝袋を担ぎ、東京から九州の最南端の佐多岬にもサイクリングを行う熱中ぶりです。

一般人との大きな違いは、体力と精神力を限界状態で鍛えることを目的にしている点です。

幼少期の追求が、己の精神と肉体の鍛錬に傾いたのはこの時期なのでしょうか。

 

そしてついに限界を超える日が来てしまいます。

 

マッスル北村の初の気絶

夏休みが終わる2日前、8月30日のことです。

マッスル北村は、夏休みの課題として、自宅から200キロほどの距離にある奥多摩まで自転車で行くことを計画しました。アップダウンの激しい山道を走ることを想像すると距離以上に大変な計画です。

飲まず食わずで走り続けて、自宅から持ってきた唯一の飲み物である牛乳が暑さでヨーグルト状態になっていましたが、それを口にして食あたりと疲労で、気絶してしまいました。気づけば奥多摩病院にいたそうです。

この頃から自分への限界に挑戦することに使命感があったのかも知れないです。

 

マッスル北村のボディビルとの出会い

マッスル北村大学時代

kitamurマッスル北村大学時代2



価値なしのレッテルを貼られたマッスル北村

初めてのステージは頭がまっしろ状態だったようです。法政大学の講堂で行われた「関東学生ボディビル選手権大会」への初参戦。

緊張、減量でまったくポージングのミュージックも耳に届かない状態で、恥ずかしさと、緊張でいっぱいいっぱいだったようです。

 

この時、筋トレを初めてたったの2週間で出場したらしいです。誰かにそそのかされて出場したようですが、本人は思いっきり後悔したようです。

高校3年間はずっと学内の腕相撲チャンピオンで自転車やボクシングなど体力には相当自身があったようです。おまけに若き日のマッスル北村はプライドが相当高かったらしく、ボロボロにされて相当ショックを受けてようです。価値なしのレッテルをはられたと表現していることからよくわかります。

さすがのマッスル北村でもトレーニング開始して2週間では他の参加選手とは身体のできが全然違ったのも頷けます。

いくらなんでも、それはそうです、筋トレはそんなにあまくないですから。

 

試合を途中で投げ出して、カップラーメンやカップうどんを7杯も食べたお腹は満足しましたが、心は決して満たされなかったみたいです。

雪辱しに戻ってくる。と誓います。

 

これまで自転車で体力と精神を限界まで鍛えていましたが、ついに己の筋肉と向き合うときがきたのです。この時の屈辱ですね。ここが生涯にわたるボディビル人生の始まりです。

 

大学の授業をキャンセルしてアルバイトで稼いだお金をプロテインや生卵、牛乳を買ってとにかく食べる量にこだわりを持っていました。

そして来る日も来る日も、トレーニングにのめり込む日々が続きます。

自転車、水泳、器械体操などで鍛えたきた身体はすさまじい体力があり、スクワットやベンチプレスを5セット、10セットやっても全く疲れない体力があり、毎日710時間程トレーニングしていたそうです。

執念ですね、私も筋トレ大好きですが、7時間も10時間もたとえ時間があってもできないです。プライドの高さが伺えます。

 

拷問のようなこれらのトレーニングに耐えるため必要なものは己の心、精神以外の何ものでもない。感情、理性、知性といった全ての心の領域をコントロールしている肉体の限界を突破していくキーは己の新年をバックボーンとした意識の集中に他らならない

後にこのように述べていますが、マッスル北村のこだわりは、肉体と精神の調和にあります。

どれだけ素晴らしい肉体を保持していても、心が伴わなければ真のボディビルダーではないと発言しています。

 

ちなみに、秋葉原にほど近い御徒町の「サンプレイ」ジム(須江さんが所属)宮畑会長に手とり足取りおそわったそうです。

このかた、相当優しい人のようですね。

 

ボディビル狂になったマッスル北村

ある日、トレーニング場にいた男性に、君はものすごい才能があるから一生懸命がんばれば、半年でミスター日本になれると言葉をかけれらたそうです。

この言葉をみじんも疑うことなくトレーニングにうちこみ、最初の3年間で30kgほど筋量が増えています。

 

最初の3年間は限界まで追い込むこトレーニングの方針で、回数、重量ともに限界までやり込んだようですが、筋肉量30kgは信じられないです。

凄まじい食事とトレーニングによるものですが、一体どんな食事をしていたのでしょうか?

 

とにかく食べて、食べて食べまくったそうです。胃腸を強制的に鍛え、消化吸収力をあげて筋肉成長をた高めるためです。

1日3回の食事の他に、大きな鍋いっぱいに雑炊をつくって毎晩、睡眠前に食べいたようです。

栄養を飽和状態までとり、超回復による筋肉成長と体重増加のためです。

鍋いっぱいもあるため食べるのに相当時間がかかったそうですが、絶対に全部食べきってから眠りについたそうです。

ときには睡魔で鍋の中に顔をつっこんだこともあったそうですが、執念で食べきっていたそうです。

 

ある意味、トレーニング以上にきつい気がします。

私も経験がありますが、体重を増やすのは非常に大変です。私は胃腸が弱く、食べても食べてもトイレに駆け込むことになり、限界を感じました。満腹感も一定の度合いを超えるとかなりの苦痛になります。

 

ある日、マッスル北村も体重が増えなくなったそうです。

雑炊に加えて、2030個、牛乳23リットル、サバの水煮の缶詰3缶、プロテイン200300グラムを追加でとっていた模様でいつしか、吐き気で額から脂汗がおちていたそうです。

普通の人ならここまで頑張ることはできないのではないでしょうか?

しかも、吐き気を抑えるために「強力わかもと(胃腸薬)」を毎日30錠のみほして、1週間で1,000錠を飲み干していたというから驚きます。

庭には強力わかもとの空き瓶が大量に並んでいたそうです。まったくもって信じられない執念で、体重の壁を乗り越えたようです。もちろん食事3食も食べた上で。

 

ここまでは学生時代の食事の話ですが、「限界への挑戦」(マッスル北村トレーニングビデオ)では卵白20個にアーモンドエッセンスを加え一気飲みしています。ロッキー以上です。

他にも、生のササミ10本ほどに水とバニラエッセンスを加えミキサーでシェイクして一気飲みしています。本人曰く、マッスルシェイクで美味しいそうです。

私、当時、ちょっと衝撃すぎて。。。なんでも消化吸収が早いそうですが。。ちょっと無理です。

 

マッスル北村は、食事でも限界と戦って栄養吸収と体重増を勝ちとったわけです。

1千回と11回とでは天と地の隔たりがあった。まさに最後の1回は全身全霊の限界力を振り絞った一発。その前の1千回はこの1回のためのお膳立てに過ぎない。最後に一発はその前の1千回に勝るとも劣らない価値がある。それは「昨日よりも強くなれ!!」と肉体に命令する魂の怒号の一発なのだ。

マッスル北村の名言ですね。

 

極限重量、極限回数

19816月の屈辱の関東学生選手権から5ヶ月後の11月には東日本学生選手権で8位に入賞しています。

その時のコンテスト体重がなんと80kgです。6月の時点で60kg弱しかなかった体重が80kgです!

しかも、いきなり8位ですからね、とんでもない結果です。

そして翌年の3月には96kgです!10ヶ月弱で驚異の40kg増量です。もはや人間レベルではないですよ。

後々、115kgぐらいまで体重を増やしていますが、トレーニングを初めて最初の10ヶ月で、完成形に近い体格を手に入れていたと思います。

そう考えると、自分のキャパシティー近くまで身体を拡張することは、極めて早めに成し遂げることができる気がします。

もちろん10ヶ月は特別なわけですが、一般の人でも頑張れば2年、3年で完成できるのではないでしょうか。

あとは、年数をかけてディティールを整えていけば良い気がします。

 

背中や胸など高重量な重さに耐えるために、最初に腕と肩の筋力アップを集中的におこなったそうです。

日増しに筋力が増量されマシンのケーブルは何度も切ってしまい、ジムに迷惑をかけていたそうですね。ラットマシンのバーも何本も曲げてしまったそうです。あれ、曲がりますかね、普通。

「限界への挑戦」ビデオではフルスタックはもちろんのこととして、そこに何十キロものダンベルを追加してトレーニングしているシーンがありますが、ワイヤーが切れる理由がわかります。

 

ある時は自宅に買った、160kgのバーベルセットで12時間ぶっつづけでトレーニングもしていたようですが、それでもオーバトレーニングにならないところすごすぎます。

 

マッスル北村ついにリベンジ(関東学生ボディビル)

マッスル北村大学時代リベンジ

マッスル北村大学時代リベンジ2

2年間かけて太らせ続けた身体を関東学生ボディビル選手権大会にむけて、ついに減量開始です。

途中、1981年の11月に東日本学生選手権で8位になっていますが、この時は減量しなかったそうです。

順位などはどうでもよく、ポジションの確認のための参加だったようです。

そのマッスル北村がついに、初めての本格的な減量を開始します。

先の豪快な食事を一気に制限したため、気が狂いそうなくらの空腹感に襲われたようでした。

食事制限に加えてランニングも行い、彫刻のように脂肪を削り、筋肉が浮き彫りになってくる初めての経験をします。

この時、体重減に伴い重い重量が上げづらくなってきたそうですが、意地でも重量はさげずなかったようです。

回数ができなくなった分は、セット数でおぎない帳尻をあわせました。

 

ついに2年前のリベンジをする時がきました。

脚以外の部位の部門賞独占とモースとマスキュラーのぶっちぎりで優勝です。

普通はここで満足しますが、最初から世界レベルを目指していたそうで、この大会は本当の通過点に過ぎなかったようです。

優勝と同時に心は社会人大会にむかっており、次なるターゲットのミスター関東も結局優勝していきます。

 

ディフィニッションの重要性を知ったマッスル北村

1984715日に福岡市の都久志会館でジャパンチャンポオンシップスが開催されましたが、その前日はビジネスホテルに2選手一室での宿泊していました。マッスル北村と同部屋になったのは、兵庫出身の東海林選手です。

東海林選手の脚のディフィニッションを見てマッスル北村は、言葉を失ったそうです。

血管だらけの大腿、少し力をいれるだけで筋肉の隆起が浮かびあがるさま。一片の脂肪と一滴の皮下水分もない完璧な状態の脚。

 

東海林選手はバンタム級でマッスル北村がミドル級での参加でしたが、東海林選手の脚のほうが、大きくみえたそうです。

やはり、筋肉の隆起、ディフィニッションで見え方が大きくかわる証拠ですね。

 

最後の最後まで最善をつくつのだ!

普通は最後の調整を行うものですが、東海林選手の脚に衝撃をうけたマッスル北村は、そこから3時間走ることに決めました。

直前まで名一杯トレーニングをしていたため、予定とおり走ることができず、随分と時間がかかったしまったようですが、その間、地獄のような喉の乾きにも一切、水分を口にすることはなかったそうです。

 

ホテルにもどり、真水で身体をひやすことで、のどの乾きと疲労と関節の痛みを癒やしたそうです。

 

結果は2位。

優勝はミスター日本優勝経験者の榎本正司選手です。

マッスル北村もトレーニングギアは使っていました。特に背中用のリストストラップはトレーニングビデオでもおすすめしています。

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連発して気絶するマッスル北村

WABAの大会に向けて本格的な減量を開始しますが、これまでの減量方法はしっかり炭水化物を摂取して油とタンパク質の量をへらす方法でした。

今回は、食事制限とトレーニングだけで減量する計画です。

タンパク質の摂取量を大幅に増やし、低炭水化物によるカタボリックな状態を防ごうという考えです。

エネルギーは油で充当する考えで、積極的にオリーブオイルをとる方法です。

いわゆる高脂肪ダイエットです。最近では一般的になった低炭水化物、高脂肪ダイエットを1999年の段階で取り入れていました。

 

112kgの体重が1ヶ月で105kgまで減りましたが、コンテスト1ヶ月前になり体重が動かなくなってしまいました。

あせったマッスル北村はメインのエネルギー源である油を取り除きました。

油をカットして以降、立ちくらみがかなり酷くなりましたが、それでもジムでのトレーニングは手抜きなしで取り組んでおり、とうとう、トレーニング中に記憶がなくなってしまったそうです。

意識が肉体からどんどん離れる感覚だったそうですが、生死の境目に見ることがある幽体離脱の状態だったのでしょうか?

気づけば、病院の一室にいたそうで、低血糖症で意識を失い病院に運ばれていました。

中学の自転車サイクリングについで、2回目の病院いきですが、いったい、どれだけ無茶をするのでしょうか?

 

病院では点滴をかなり受けたため、せっかく減っていた体重が105kgになったそうです。

次の日からまた高脂肪ダイエットを開始しましたが、体重が減らないため、また油を完全にぬきます。

 

今度はジムで倒れるわけにはいかないので、果糖ドリンクを飲みながらのトレーニングでした。

自宅では低血糖で2回程倒れた教訓から緊急用にフランスパンを買い置きしていたそうです。

 

ある日の明け方、トイレにむかう瞬間にキッチンの床に倒れてしまいます。

身体が全然動かない大変な危機でしたが、振動でおちたフランスパンに口だけでかぶりつき、袋を噛みちぎって1/3ほどたべた後、睡魔におそわれそのまま寝込んでしまいます。

目がさめて残りのパンを全部食べきったところで、少し回復したため、そのままプールと2時間のランニングを行い、皮下脂肪が燃える手応えを感じたそうです。

やはり適度な炭水化物は必要で有酸素運動と組み合わせるべきなんだ

そこから食べて、寝て、運動して95kgを下回るところまで仕上げました。

結果はオーバーオールでの優勝です。素晴らしい。

 

1週間後のトーナメントオブチャンピオンズにもエントリーしていましたが、WABA大会の反動で食べまくってしまい、103kgまでもどってしまいました。

2日間で水泳やステアマシンを行い何とか95kgまで落としましたが2週間もトレーニングしていないため、筋肉がサイズダウンしていた模様です。

それでも結果はヘビー級3と素晴らしい成績でした。

 

これがマッスル北村の最後のコンテストになってしまったのが非常に残念でした。

翌年の仕上がりは非常によく、ミスター群馬のゲストポーズが史上最高の出来栄えでしたから、なおさら残念でしかたありません。

 

原因は低血糖による栄養失調です。これまで何度も倒れては、復活を繰り返してましたが、最後の最後で肉体の限界を突破してしまったのです。

 

マッスル北村もトレーニングギアは使っていました。特に背中用のリストストラップはトレーニングビデオでもおすすめしています。

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マッスル北村の逸話

マッスル北村逸話

ヘビーデューティトレーニングを知ったマッスル北村

とにかく、毎日が最高重量の更新との戦いで、信念と集中力で限界への挑戦していました。

にマッスル北村にとって一度扱ったことのある重量は、闘志がみなぎらなかったそうです。

後にダンベルのコンセントレーションカールでは、反動はつけるものの、72.5kg4回ほどやっています。

72kgですよ。普通持つのもできないレベルです。

 

肩の種目のワンハンドダンベルプレスは85kgです!

この重量を扱っている人は、プロの外人ボディビルダーしか見たことがないです。

 

ヘビーデューティトレーニングをするきっかけになったのは、ある女性との出会いからです。

かつてマッスル北村は、ビッグボックスとエグザスの2箇所のジムを使い分けてトレーニングしていました。

当時は、場の力を借りることも重要だったらしく、集中が必要な時はビッグボックスへいき、気持ちが沈みがちな時は女性会員が多いエグザスへ訪問です。

ただし、30台後半になった時は「場の力なぞは小細工」とよんでいました。

自ら感情の動きを沈めて集中すれば、どんな環境でも自分の空気を作って集中状態にはいることができたためです。マッスル北村は自分自身トレニングを天職とよんでいます。

中途半端な集中状態は「肉体労働」にすぎず、己の身体を彫刻するにはほと遠いことらしいです。

 

オーラとの出会い

ある日、ドイツ系ユダヤ人でアメリカに在住しているとてもグラマーな女性に声を掛けられました、

なんでも、日本にきてまだ1週間と不慣れな状況であるが、筋肉が大好きなんだそうです。

ボディビルをやってみたかったが、アメリカでチャンスがなく、マッスル北村の生徒になりたいとのこと。

コンテスト前で忙しかったが一緒にトレーニングすることにしたそうです。その時は、ミスタ

ー東京の大会直前でそれどころではなかっため、美人のお願いでも心は半分泣いていたそうです。

 

1週間ほど教えていましたが、オーラから突然、

今度は私があなにトレーニングを教えるばんです

と言われたそうです。

レッグエクステンションマシンにつれていかれ、フルスタックの重量で開始します。

脚をあげきったところで、オーラからストップの号令がかかります。相当大きな声(英語)で周りが二人のやり取りに見入っていたそうです。

オーラが体重を上からかけおろしてきます。一番下まで行くと、重量を軽くして再度脚をあげきります。

また、オーラが体重をかけおろしていきます。これを5回くりかえした後、マッスル北村の脚は1セットでオールアウトしてしまいまいした。

何でも彼女はあのマイクメンツァーとケイシービエターが考案したネガティブトレーニングを日本に広めるために来日したのだと。

ドリアン・イエーツが行っていたヘビーデューティなトレーニングをマッスル北村は1985年に習ったのでした。

あなたの今までのトレーニング強度は弱すぎるわ

それから拷問の日々が始まったそうですが、ワンレップの真の大切さを心に刻むことになったそうです。

おかげでマスター東京で優勝することができたようです。もちろんこのトレーニングが全てではありません。

 

マッスル北村の過酷すぎる減量

マッスル北村減量

1985年の全日本実業団コンテストで優勝したマッスル北村にミスターアジアに出場しないか?と打診がありました。

ライトヘビー級の選抜選手が出場を辞退したため空席であったためです。

出発は4日後。この日まで何度も増量、減量の繰り返しで肉体が限界状態で断るべきでしたが、またとないチャンスのため、申し出を受けることにしています。(話の途中で参加しますと回答したそうです)

実は前哨戦のジャパンチャンピオンシップスで減量がたたって、ステージで気絶して敗退していたのです。

ミスター日本には出場したことがないので、日本を一気に飛び越えてのアジア大会です。

身体はぼろぼろ状態であり、ここから生涯史上最強、最悪、もっとも過酷な肉体の試練と向き合うことになります。

 

出発は4日後のため、調整期間は実質3日間です。

1985年はオーバトレーニング気味のトレーニングに直近2ヶ月で3つもコンテストに出場しており、肉体は相当疲労していたのです。

しかも国際試合ではマッスル北村より筋量が多い選手も予想され、完璧にしあげなければいけない。

 

まずは、回復するために、睡眠もわすれるぐらい、食べたいものを食べまくっています(3日間しかないのに)

カツ丼、カレー、グラタン、ラーメンや冷蔵庫のものも全て食べて、まんじゅうにチョコレート。。。

夜中1日中食べて体重を10kgも増やしています。

これだけ食べると、お腹が背中や横にまで腫れ上がるそうです。

この後、眠りまくって12時間後、起床してまた、食べます。

体重は98kgです。それでもお腹がすいているらしく、最後の大盛りパスタをぺろりと食べます。

 

体重は98kgオーバーです。残り1日半しかありません。

過去3日で15kgの減量経験はありますが、その半分しかない状況です。

身体はカットなしで顔もまんまる状態になっています。

もはや、不可能としか思えません。。。

ここで思いついたのが、正気でない方法です。

秩父(マッスル北村の自宅は東京の北のほう)まで電車でいき、そこから走って帰ってくる計画です。

未舗装の県道、登山道、峠越えして下山し、県道で自宅まで走り抜けるものです。

 

100km強のコースを山越えして走って帰るというめちゃくちゃな減量計画です。最終的には120kmぐらいに変更になっています。

100kmって平坦な舗装道路を自転車で走りぬけるだけでも相当大変なことです。

それを走り抜ける、(10kgの重いラジカセもリュックにいれて)しかも、峠道ですからね。

ありえないです。

 

午後1430分秩父にある名栗線県道73号線から山に向かいスタートです。

日暮れ前に峠をこえないと山道のため、遭難になる危険性もあります。

走りだして、まもなく太陽が西に傾きはじめます。山の日暮れはとても早いですから。

非常に危険なのでピッチをかなりあげますが、90kgの体重があるとは思えないぐらいのスピードで山道をかけあがっていきます。

目指しているのは、鳥首峠。日没前に最低限到着した場所ですが、ぎりぎりのタイミングで鳥首峠に到着したのもつかの間、今度は下山です。

岩から岩へ何度もジャンプしながらの下りで何度も尻もちをつきながらの下山です。

少し開けた場所があったので、一気に飛び降りたら

”ギャー” 尻もちをついたおばさんが、「天狗じゃー、天狗がでたー!」と叫んでいたそうですが、

そのまま、走りぬけました。(本当に集中力が凄いですね。私なら一言、すいませんと言って、一旦止まってしまいます)

あんな巨大な身体をした大男がいきなり、まっくらなところに飛び降り、目の前を駆け抜けたら誰でも驚くと思います。このエピーソードは本当に逸話ですね。

 

県道にでたところでペースを落としラジカセを聞きながら走りますが、ラジカセ、電池、テープの合計が約10kgぐらいあったそうです。スマホなどない時代ですからね。

夜の21時を過ぎたころには脚の指のいたるところに相当な痛みがでてきます。

ここまで山道上り、下り含めて60kmです。

 

脚のツメが何枚か剥がれて、指からはかなりの出血があったようです。

所沢に到着するころには、疲労と消耗は極限状態で沈没寸前でしたが、脚の指の痛みで覚醒して走り続けることができたそうです。

 

深夜12時にようやく所沢に到着します。1430分に出発して9時間30分の間、峠と県道を走りっぱなしです。しかも90kgオーバーの身体で約90km走破しています。

残り30kmはいつものジョギングコースを選択しついに完走します。

(最後コース変更して距離がのびています)

とにかく自分に負けたくなかったそうです。コンテストに勝つことよりも自分に勝つためです。

自分はもうだめだとか自分には到底できない、といった、自分の可能性を否定する言葉を断じて認めるわけにいかなかったそうです。命がつきはてても不完全燃焼で終わり後悔だけはしたくなかったそうです。

ここまで、自分の心と肉体に打ち勝てる人は、生涯二度とあらわれないのではないかと思っています。

最後の30kmは普段なら2時間半で走り切るそうですが、もうろうとふらふら走りで5時間もかかったそうです。

この時、血まみれの脚の指の痛みがなければぶっ倒れていてもおかしくなかったようですが、最終的にトータル14時間30で走破しています。

脚の指は腐ったバナナのように変色し、ツメは大きく何本も剥がれていたそうです。

 

自宅到着時には体重が83kgで筋肉の塊の状態になっていたそうです。

 

努力のかいあって、見事優勝をかざっています。

大会では自宅出発から到着後もトラブルがありましたが、その時も最後まであきらめずに、できることを最後までやりつくす精神があっての優勝と思います。

 

マッスル北村もトレーニングギアは使っていました。特に背中用のリストストラップはトレーニングビデオでもおすすめしています。

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かっこいい体は計画的に作れます!【もてる体を見せてください】

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大怪我をおったマッスル北村

WABAの大会前に高熱で3日間トレーニングを休み寝込んでしまいます。

筋量を少しでも増やしたいため、あせりがあったようで、解熱剤を使い38度まで熱をさげ4日ぶりにトレーニングした時の話です。

心配した筋力低下もなく、ダンベルプルオーバーでいつもの90kgが軽く感じ、更に10kgのプレートを加算して100kgでプルオーバーをやっていたそうです。思いの他軽く感じて10回をこなし、まだ余力があり追加のセットの時です。

周囲の視線を感じて、調子ずいたとのちに反省しています。

 

更に重量を110kgまで増やして周りに自分の力を誇示するように、心で笑いながらの3レップ目に悲劇がおとずれます。

ブチ!っという音とともに激痛が走りました。筋肉断裂で強烈な痛みがあったそうですが、周りに心配させずにさっと引き上げたそうです。

普通なら激痛でスタッフに依頼して、病院直行だと思いますが、あくまでも自己解決するところが波の器ではないことを感じます。

 

結果的に左側の肩、上腕二頭筋、大胸筋の肩関節への接合部の腱がきれて筋束がごっそりと萎縮してなくなる大事故でした。

復活後のマッスル北村の左胸筋が少しへこんでいるのは、この大事故が原因だったんですね。

それでも1週間後には、トレーニングできる部位を鍛え始めましたが、かえって悪化することになり、寝返りもまともにできなくなったようです。

結局は3ヶ月の間、まるまる休暇することになります。

この年、WABAの大会に山本義徳さんと一緒に参加する予定でしたが、出場取りやめになってとても残念です。

 

1999年年明けにジムいき、フリーウェイトがまったく扱えないことがわかったそうです。

限界への挑戦ビデオでは、マシンを使ったトレーニングシーンばかりのため、なぜなのか疑問に感じていましたが理由がわかりました。

 

ジムの端っこにある初心者用のチェストプレスが唯一トレーニングできるマシンだったそうです。

肉体には肉体の意識があり、その意識を無視して自分の意思で無理強いを続けると、自分の管理を離れて肉体がストライキをおこし、さらには自己崩壊してしまうことも学んだ

この発言からも肉体と精神の調和を大事にしていることがよくわかります。もはや次元の違う感覚です。

神レベルとは、まさにこの精神ではないでしょうか。

 

この後、フルパワーで高重量トレーニングができるまで復活しています。

 

マッスル北村についてもっと詳しく知りたい方は、

マッスル北村伝説のバルクアップトレーニングで詳しく知ることができます

アイアンマン2020年9月号で特集がくまれています

私の人生を大きく変えたマッスル北村という男【まとめ】

私がトレーニングをするきっかけになったマッスル北村さんのボディビル人生はいかがでしたでしょうか。

何よりも他人に優しく、己に厳しい人物で誰からも愛されるかたでした。

私は本人にあったことがありませんが、トレーニングビデオを見て、優しさと強さにあこがれて今日までトレーニングを続けるきっかけになったことは間違いないです。

マッスル北村に出会わなければ、筋トレにここまで熱中することはなかったと思います。

それだけに、私の人生を大きくかえた偉大な人物だと思います。

みなさんも、機会があればトレーニングビデオや本を見てください。

きっと、私と同じ気持ちになると思います。

 

最後までありがとうございました。

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